同じにできない。これってわがまま?
- 席についているのが苦手。
- 字の読み書きが苦手。
- 計算が苦手。
- ざわざわしたところが苦手。
- 大勢人が集まっているところが苦手。
- 片付けが苦手。
などなど、それぞれいろんな苦手があると思うのですが、中には周囲から理解されにくい『苦手』があるのです。
みんなできてるから、きみもできて当たり前。 みんなやっているんだから、あなたもやりなさい。
更には、我慢が足りない、とか、努力が足りない、もっと頑張れ、などとと言われてしまう。 本人はいたって本気だし真剣なのにつらい言葉です。
生まれつきの脳の機能障害で、努力してもできないことや上手くいかないことを、頑張ってみんなと同じようにやれ。と言われても困ってしまいますよね。
みなさんは、視力が悪い人に「頑張って裸眼で見なさい」と言いますか? 松葉杖をついた人に「頑張って自力で歩きなさい」といいますか? 言わないですよね。
むしろ、「視力が悪いから眼鏡をかけましょう」とか、「座席は配慮して前の方にしましょう」と言いますし、足が不自由な人には、「どうぞエレベーターを使ってください」とか、「ゆっくり気をつけて」などと声を掛けますよね。
その人が感じている『不便』を理解して、それに対応しようとするし、もちろんそれを当然の権利として許します。
しかし、『読み書きが苦手な子にはタブレット』『計算が苦手な子には計算機』などの道具が必要でも、「不公平だ」とか「前例がない」と言われ配慮されないことが多いのです。
読み書き計算以外は理解できる能力があり、アイテムを使えば授業についていけるかもしれないのに、簡単な四則計算や板書で他の人の何倍もの時間がかかってしまい、その労力だけでキャパオーバーになり授業から置いて行かれる結果に…。
眼鏡と同じように、その子にとって学習や生活に必要なアイテムなのに、なぜわがままとされてしまうのか。
もっと柔軟な思考で、まさに合理的な配慮ができる社会になってほしいし、まずは学校がそうであってほしいと思います。