超えられない壁・・・あなたならどうしますか?
カウンセリングに来られるお子さんの多くは、『逃げる・助けを求める』ということが苦手です。もちろん、相談に来るお子さんだけでなく、カウンセリングとは無縁に見える感じのお子さんもまた、『逃げる・助けを求める』が苦手というケースが少なからずあります。(むしろ相談に来た子の方がカウンセリングを受けようと決心した時点で助けを求められているのかもしれませんね。)
何か大きな壁にぶつかった時や自分では解決できないような苦しい状況に追い込まれた時に、「とりあえずこの場から逃げよう」とか「誰かこの状況から助けてください」ということができないのです。
中には、そうすることがベストとわかっていながらできない子もいますが、最初からその選択肢があるということすら知らないというお子さんもいます。
ではなぜ、その選択肢を知らないのか?知っていても使えないのはなぜか?
日本の社会が、大人たちがそうさせているのかもしれません。
多数派ができることはできて当たり前。
みんなと同じ、そろえることが良いこと。
一度やると決めたことは最後までやり通す。
など、呪いのような思い込みというか(“普通”の定義は人それぞれで“普通とは何か”もよくわかっていないのに)「普通が良いこと」になっていないでしょうか。
子どもだけではなく、多くの大人たちもまた、そういう思い込みの世界で成長してきて、大人になった今も会社や地域やPTAなどあるいは家庭といった中で、『逃げる・助けを求める』ができないでいるのでは、と感じます。
逃げるのも助けを求めるのも『恥』である、そうすることは『情けないこと』と思っていませんか。
もしそう思っているとしたら、子どもにもその考えを押し付けたり植え付けてきたりしている可能性は大です。
大人ができていないのに、子どもができるはずがありません。
『逃げる・助けを求める』ができないと困難な状況とひたすら闘い続けることとなります。
闘い続けるとどうなるでしょうか? いつか心身ともに崩壊するときがきます。
心身が崩壊してからでは通常に戻るまでにとても時間がかかります。
そうなる前に、やはり『逃げる・助けを求める』ができるようにさせてあげたいものです。
親も学校の先生も、大人が「非常に困難な状況から逃げたり、誰かに助けを求めたりすることは悪いことでも恥ずかしいことでもない」ということを体現して子どもたちに見せていかなくてはいけないし、子どもにもそれを許すべきであると私は考えます。
特に義務教育までの子どもたちは、ほぼ家庭と学校だけの狭い世界で生きています。
極端な言い方かもしれませんが、頼れる大人は親と先生だけです。その人たちに助けを求めることもできず、逃げることさえ許されなかったら、もう居場所はありません。
居場所がなくなった子はどうなるか…。 自分を傷つけることで一時的に居場所(逃げ場)を作り、生きていることを実感しようとする子も少なくありません。
大人だって闘い続けることに疲れているはず。 子どもたちのためにも、たまには『逃げる・助けを求める』を取りいれていきましょう。